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水橋売薬の歴史
・・・水橋について 1.1 水橋売薬の発祥 2.1 仲間組、向寄を組織 3.1 水橋売薬の組織と藩の支配 4.1 他地域売薬との競合と連携 5.1 明治新政府による売薬業統制の動き (執筆中) (執筆中)
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旧(財)水橋郷土史料館
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水橋売薬の歴史 3.水橋売薬の組織と藩の支配 以上の通り、水橋売薬の発祥と仲間組・向寄組織の実態をまとめてきましたが、続いて水橋売薬の組織と加賀藩の支配構造について整理します。 3.1 水橋売薬の組織と藩の支配 売薬に関する専門書は、著名な先生方が研究された富山県薬業史等、多数存在しますが、その多くが富山町売薬中心にまとめられており、水橋売薬をはじめ加賀藩領の売薬についての記述はわずかであることは残念な限りです。 水橋売薬の組織と加賀藩の支配構造がどうなっていたのか、正確に把握しておくことは水橋売薬の歴史を考えるうえで重要であり、試みに関係を図式化してみることにしました。以下の図をご覧ください。
富山町売薬では、時代により変遷があるものの富山藩が反魂丹役所を設置し、人と産業の両面を支配しました。 一方、加賀藩越中領の各売薬では、各地の十村が『売薬取締調理主附』として取締を行う役目を担いましたが、実際は十村によって売薬吟味人(売薬人の中から任命)が選ばれ、彼らが実質上の取締を行いました。 図のように、十村、売薬吟味人、仲間組を取仕切る年行司、向寄を取仕切る向寄請人、そして持株人(売薬元人)、売子と、階層構造が構成されていました。 注)この図中、天正寺村金山十次郎、西水橋范七郎は、売薬取締調理主附として幕末に任命され、その任にあたりました。 3.2 売薬商売の実態 売薬商売活動の流れ 次に、江戸期の売薬行商の実態をまとめておきたいと思います。 ところで、江戸時代、売薬という商売を始めるには何が必要だったでしょうか。ここでは、藩外への売薬行商の例を見ていきます。 売薬を始めるには、しかるべき売薬商に奉公し売子として行商経験を積み、主人に認められたのち独立し商売を始める場合(暖簾分け)と、売りに出された売薬株を購入し商売を始める場合の二通りがありました。 いずれにせよ、まず、売薬株を持たなければなりません。この売薬株とは、『他国出脚鑑札』『旅先藩入国鑑札』の2つをさしました。 他国出脚鑑札は、加賀藩領内を出て売薬行商を行うための事業許可権であり、売薬商として商売を行うためには必須のものです。 また行商先の顧客台帳である『懸場帳』を持っている必要もあります。すでに行商している場合は、新規に顧客開拓を行う(新懸)ことが可能ですが、新たに商売を始める場合には、この懸場帳も暖簾分けの際分けてもらうか、売りに出されたものを購入する必要がありました。
さて、実際の売薬行商はどのようなものだったのでしょうか。 廻商先に売薬行商に出るためには、向寄(請人)が旅先藩の役所と掛け合い、行商許可交渉を行い、まず許可を得ることが必要になります。向寄の交渉により、旅先藩の役所から一年から数年の期限で一定人数の行商許可を得ると、これを向寄組に所属する売薬人で分け合い、それぞれの売薬人の売子数が決まります。 続いて郡奉行から売子ごとに『旅先藩入国鑑札』を発行してもらい、合わせて旅先藩までの往来手形も発行してもらいます。 これらが揃ってはじめて、売子は行商に出ることが可能となりました。 ただ、行商中も旅先藩に到着すると、速やかに宿泊先の宿主を通じて旅先藩に届けを出す必要があったり、旅先藩から宿が限定されたりと行動の自由はなく、たいへん厳しいものであったといえます。 売薬商売の必携品 前述の売薬株である他国出脚鑑札と旅先藩入国鑑札、そして往来手形をみていきます。
写真は幕末から売薬業を営む直江利三郎氏所蔵の他国出脚鑑札です。ご覧の通り、かまぼこ板2枚ほどの板木であり、旅先藩入国鑑札も同様のつくりです。将棋型の板木の例もあります。また、往来手形は和紙に書かれました。
© 2003-2005 Takeshi Kagaya
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